インディアン水車の名称及び設置の由来

 

1 概要

毎年秋になると千歳川をそ上するサケを捕獲するため、川を梁でせき止め、幅1. 5mの魚道を設け、そこに水車を取り付け、そこの水車で魚道までのぼってきたサケを 白動的に捕獲する施設。

全国ではここにしか見られないもので、これは支笏湖を源とし上流に5つのダムを持ち、流水量が安定した千歳川ならではのものとなっている。

ここで捕獲されたサケは蘭越のふ化場に運ばれ採卵受精し、ふ化した稚魚は翌春、 千歳川に放流され3~5年で回帰する。

 

2 位置

石狩川河口から約66km上流に位置し、ここから更に約10km上流に北海道さけますふ化場千歳支場がある。

 

3 設置期間

例年8月下旬から12月中旬まで設置される。9月上旬から10月上旬がそ上のピーク。

 

4 最初の設置

1896 (明治29)年11月6日、現在地より約2km上続の青葉公園下付近に設置されたのが最初。

それまで親魚捕獲はふ化場付近でウライを使用して行われていたが、当時下流での密漁も多く、またふ化場から下流一帯は天然産卵床だったことから捕猫場所を下流に移す必要があった。その際、流れの緩やかな下流ではそれまでの手間のかかるウライよりも捕魚車の使用が適していたため、この漁法が採用された。

最初に設置された場所は天然産卵床にかかっていたため、翌年(1897)に捕魚車に改良を加え、現在地に移された。

 

5 名称の由来

 北海道庁初代水産課長の伊藤一隆技師が1887 (明治20)年、漁業視察のため訪米中、コロンビア川で北米インディアンの水車式漁具(Fish Wheel)を見学し、そのとき持ち帰った設計図を範に捕魚車が建造されたことから、後に「インディアン水中」の通称で呼ばれるようになった。

実際にこの名で呼ばれだしたのは1971 (昭和46)年以降のことで、また観光客でにぎわうようになったのもそれ以降のこと。

アメリカでは当時ユーコン川やアラスカ北西郡フェアバンクス付近で捕魚車(Fishwheel)を見ることができた。

<千歳市史>には、こう記載されています。

千歳市の風物詩となっている西越採卵場のインディアン水車(捕魚車)が鮭の捕獲用に千歳川で初めて採用されたのは明治二十九年である。それまでふ化場前でウライ漁法で捕獲していたが、下流での密漁が激しく、二十九年に千歳橋のすぐ上流に捕獲場を移し、初めて水車型の捕魚車を設け、それに鮭を導くよう竹箕で川を遮った。アメリカで使われていたものに範を取ったものであったが、水の飛沫が水車の軸にかかって凍りつき回らなくなったのでやむなくその年は中止した。翌三十年、千歳橋から下流でも密漁者が横行するので、更に下げて現在の西越採卵場の位置に移し、捕魚車も改良して軸が凍結することのないようにした。捕魚車はどの川にでも使用できるものでなく、上流に支笏湖とその後につくられたいくつかのダムを持ち、そのために流量のほぼ一定している千歳川ならではのもので、日本でただ一か所の省力漁法であり、捕魚車はいっからかインディアン水車と呼ばれ、近年これのある西越採卵場は、折上する鮭の大群とともに、秋には全国的な魅力のある観光地となっている。

昭和四十六年十一月二目来千のアラスカ貿易使節団(団長R ・アンダーソン)の一行一三人は、インディアン水車を訪れ"アラスカの北西部の川は今でも使っているが" と懐かしんだ。

観光客の増加により、千歳観光連盟は、昭和五十一年、採卵場に駐車場と売店を造成した。翌年、西越採卵場に、九月から十一月までのシーズン中、約五万五000人の観客が訪れ、十月中旬のピーク時には一日五五00人にも達したといわれる。採卵室の窓ガラスが割られるようなこともあり、五十三年、正門からの場内を立入禁止にした。そのため、千歳観光連盟は、採卵室背後に展望台を設け、台上から捕魚作業を観覧できるようにした。
水車は木製のため三年が使用の限度であるが、昭和五十四年はその三年目に当たり、五十五年秋、新しい水車が千歳川にかかることになっている。